波々伯部

波々伯部 の読み方は

ほおかべ
です。

波々伯部(ほうかべ、ははかべ)氏は、日本の氏族。丹波国多紀郡波々伯部邑(現在の兵庫県丹波篠山市)に起源を持つ。中世、同地の在地領主だった。

波々伯部氏は、古代の朝廷で亀卜に用いる「ハハカ(上溝桜(うわみずざくら))」の木を献上する部民(べのたみ)が居住していたところをいう。

波々伯部氏は盛経系と為光系など諸流があり、為光系は系図によれば八幡太郎義家の後裔を称している。

中世、波々伯部氏は丹波守護代の内藤氏に従って何鹿郡に進出し、同郡小畑城(綾部市)の城主になったとされ、享禄4年(1531年)、小畑の波々伯部伊勢守が尼崎合戦に参陣した。

戦国時代、波々伯部氏は細川氏に仕え、元親の代には丹波国の有力な国人衆となった。しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で降伏し、廃絶した。

波々伯部氏の代表的な人物は、以下の通りである。

  • 波々伯部盛経:波々伯部氏の祖。
  • 波々伯部為光:波々伯部氏の庶流。八幡太郎義家の子、源義家とされる。
  • 波々伯部伊勢守:戦国時代の波々伯部氏の人物。小畑城の城主。

なお、波々伯部氏は、江戸時代には、尾張藩の藩士として存続した。