渾大防

渾大防 の読み方は

こんだいぼう
です。

渾大防(こんだいぼう)は、岡山県倉敷市に由来する名字です。

渾大防氏は、室町時代に備前国児島郡下村(現在の倉敷市下庄町)に住んでいた高田氏の一族です。高田氏は、塩問屋を営む豪商でした。

高田埃二(こんだいぼう あいじ)は、渾大防氏の初代当主です。埃二は、家業の塩問屋を継ぎ、塩業の振興に尽力しました。また、明治15年には、下村紡績所を創設し、児島郡の産業振興に貢献しました。

埃二の息子である益三郎(こんだいぼう ますさぶろう)は、明治時代の実業家として活躍しました。益三郎は、下村紡績所の社長を務めるとともに、児島蚕業や児島養貝社の社長も務め、児島郡の産業振興に大きく貢献しました。

渾大防氏は、益三郎の代に、岡山県を代表する実業家一家となりました。

渾大防の読み方は、「こんだいぼう」が一般的です。しかし、地域によっては、「こんだいぼう」と読まれることもあります。

渾大防氏は、現在、岡山県を中心に、約100世帯が存在しています。